齋藤都世子プロフィール

齋藤都世子
齋藤都世子

 

働く女性に仕事の場を。

 

齋藤都世子は、第二次世界大戦後の女性の働く場所が少ない時代、女性が働きそして収入を得る場所を提供する為に、まず手に職を付ける目的で編物教室を始めました。その後、そのニットを女性の手で販売する目的で(株)みやこ編物を設立しました。

 

齋藤都世子・独自のニット。

 

京都にて独自の糸を製造し、島根県益田市において一人のニッターが一つの作品を心を込めて製作しています。そのニットは、着て頂く方々にいかに長く、着心地良く着用して頂けるかを考え日本人女性の体型に合った独自のニットです。

 

 

物を大事にする心、人を大切にする心。

  使い捨てのこの世の中、いかに長くご愛用頂くかデザインの上でも流行を追うだけではなく飽きの来ない、傷みにくい、そして後でお直しが出来るよう心がけたデザインという齋藤都世子の志を今でも引き継ぎ制作しています。特に、お直しができる『物を大事にする心』、『もったいない』を今の環境問題に欠かせない一つのことと捉え、自信を持って作っております。環境問題のみならず、お母様、お祖母様がご愛用して頂いたニットを手直しして着る事は、和服主流の時代にあった物を大事にする心、更には、人を大切にする心へと繋がると信じています。

 

略 歴


大正2年11月 福岡県北九州市若松区に生まれる

 

昭和5年3月 福岡県若松高等学校卒業 

 

昭和16年  【編物服飾活動開始】

       戦時中、島根県益田市に疎開。

       編物が趣味で、近所の農家の主婦を相手に、畑の片隅で青空教室を開く。

       それがとても評判が良く、起業のきっかけとなりました。

       当時の益田には産業がなく、女性のために働く場所を提供してあげたいという

       強い思いがあったようです。

 

昭和31年1月 【地域密着】

       島根県益田市にみやこ編物学院設立。

       500人を超える生徒さんが集まり、編物の技術習得をはじめる。

       お昼の時間になると農家の方や漁業をやっている方が、その日採れた

       野菜や魚を軽トラックに積んで学校まで売りに来ていました。

       それを生徒さんたちが買い求めるという図式が出来上がっていて、

       これはこれで、地域貢献のひとつとなっていました。

 

昭和37年11月【齋藤都世子作品ルームを東京(世田谷)に開設~販売会の実施】

       ホームパーティー形式で、昼食に使う食材は益田市の特産品

       (渋を抜いた淡し柿等)を食べて頂いたり、なるべく田舎の味を体験して

       いただけるように作っていました。

 

昭和38年  全国編物コンクールにて最優秀並びに優秀賞受賞。

 

昭和39年  同賞、2年連続

 

昭和40年以来 毎月新作を100点余り発表

 

昭和42年  齋藤都世子作品ルームを東京(新宿)に開設

 

昭和51年1月 齋藤都世子作品ルーム及び営業本部を東京(西新宿)に開設

 

昭和57年8月 新作発表会を帝国ホテルにて開催

 

昭和59年3月【世界で初めて、「ニューヨーク・カーネギーホール」でファッションショーを開催】

       齋藤都世子×山野愛子×資生堂の競演は現地でも大絶賛。

       翌日の「ニューヨークタイムズ」紙にも取り上げられました。

 

昭和60年5月 ホノルル市・官民移民100周年記念に特別参ニットコレクションを開催

 

昭和61年12月 イタリアフローレンスにてニットコレクション開催

 

平成元年7月 【パリ市セーヌ川湖畔においてフランス革命200年祭及び

       エッフェル塔100年記念に当りニットコレクションを開催】

       ショーの演出は、バルセロナ五輪の時に火の付いた弓矢を放って聖火台に点火する

       演出を行った「オリビエ・マッサール」氏に依頼。

       セーヌ川沿いにステージを7か所設け、夜10時くらいから街灯を消し

       船上からお客様にショーを観ていただきました。

 

 平成4年11月 北九州市市民文化賞を受賞

 

平成7年11月 卓越技能者労働大臣表彰(現代の名工)受賞

       オリジナルの糸や編み機の開発などを通じて生産効率の向上に寄与した事が評価。

 

平成8年4月 勲六等宝冠章 授与

 

平成17年11月 島根県益田市内にて死去

       一周忌には、島根県と益田市の主催でファッションショーを開催。

 

平成18年11月 益田市名誉市民称号 授与